リサイタル・キッシン

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AUG 2025

 

エフゲニー・キーシンは、現代で最も傑出した名手です。1971年にモスクワで生まれ、2歳の時に耳コピやピアノでの即興演奏を始めました。6歳の時にモスクワのグネーシン音楽学校で学び始め、唯一の教師であるアンナ・パブロフナ・カントルの弟子になりました。1984年、12歳の時にモスクワ音楽院でドミトリー・キタエンコ指揮モスクワ国立フィルハーモニー管弦楽団とショパンのピアノ協奏曲を演奏し、国際的な注目を集めました。エフゲニー・キーシンは1985年以来、クラウディオ・アバド、ウラディーミル・アシュケナージ、ダニエル・バレンボイム、クリストフ・フォン・ドホナーニ、カルロ・マリア・ジュリーニ、ジェイムズ・レヴァイン、ロリン・マゼール、ズービン・メータ、リッカルド・ムーティ、小澤征爾、ユーリ・テミルカーノフなど、世界的に著名な指揮者たちと共演してきました。

 

1987年、エフゲニー・キーシンはワレリー・ゲルギエフ指揮ロンドン交響楽団と共演しデビューしました。翌年、ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団のニューイヤーコンサートに出演し、ザルツブルク音楽祭にもデビューしました。1990年にはBBCプロムスに初出演し、ニューヨーク・フィルハーモニックと共演してショパンのピアノ協奏曲2曲を演奏し、米国デビューを果たしました。その後間もなく、カーネギーホールの100周年記念式典で演奏しました。

 

彼は、1987年に大阪シンフォニーホールのクリスタル賞、1991年にシエナのキジアーナ音楽院の年間最優秀アーティスト賞など、数多くの国際的な賞や栄誉を受けています。グラミー賞の主賓を務め、1995年にはミュージカル・アメリカ誌の年間最優秀楽器奏者に選ばれました。1997年には、ロシア文化への多大な貢献が認められ、ロシアで最も名誉ある賞の一つであるトライアンフ賞を受賞しました。

 

エフゲニー・キーシンは、マンハッタン音楽学校、香港大学、エルサレム・ヘブライ大学、ネゲブ・ベングリオン大学から名誉博士号を授与されており、ロンドンの王立音楽アカデミーの名誉会員でもあります。 2003 年にショスタコーヴィチ賞を受賞し、続いて 2005 年にヘルベルト・フォン・カラヤン音楽賞、2007 年にアルトゥーロ・ベネデッティ・ミケランジェリ賞を受賞しました。2008 年には、アトランティック・カウンシルの卓越した芸術的リーダーシップ賞の初受賞者となりました。

 

エフゲニー・キーシンの作品は 50 枚以上の CD で聴くことができ、その多くはグラミー賞、エコー・クラシック賞、エジソン賞、ディアパソン・ドール賞、ニュー・アカデミー・デュ・ディスク賞などの賞を受賞しています。

プログラムとキャスト

エフゲニー・キーシン - ピアノ

 

プログラム
ヨハン・ゼバスティアン・バッハ
パルティータ第2番 ハ短調 BWV 826

 

フレデリック・ショパン
夜想曲 ト短調 作品 15/3
夜想曲 変ホ長調 作品 55/2
スケルツォ第4番 ホ長調 作品 54

 

休憩

 

ドミートリイ・ショスタコーヴィチ
ピアノソナタ第2番 ロ短調 作品 61
24の前奏曲とフーガ 作品 87
第8番 嬰ヘ短調
第15番 変ニ長調
第24番 ニ短調

ザルツブルク祝祭大劇場

ザルツブルク祝祭大劇場(Das Große Festspielhaus in Salzburg)はオーストリアのザルツブルクにある劇場。ザルツブルク音楽祭、ザルツブルク復活祭音楽祭などの主会場としてオペラ、コンサートの両方に使用される。

祝祭大劇場はクレメンス・ホルツマイスターの設計により1960年に完成した。ザルツブルクの旧市街で大劇場を建築するための土地探しは難航したが、結局メンヒスベルクの岩盤を55,000m³ もくり抜いて建築された。ステージの大きさは世界最大級で、最大横32m、高さ9mであり、舞台裏には横100m、奥行き25mの広大なスペースが確保されている。座席総数は2179席、立ち見席はない。座席は適度な段差により、全ての座席で視界が確保され、かつバランスのいい音響である。なお、2階席後方には天井を支えるための2本の柱があり、それにより視界が一部遮られる数十席は学生席として格安で提供される。同じく音楽祭の舞台となる モーツァルトのための劇場(Haus für Mozart)(旧ザルツブルク祝祭小劇場)、フェルゼンライトシューレ とは隣接している。音楽祭以外の時期にもオペラやオーケストラコンサートが開催されている。

 

ザルツブルク生まれの偉大な指揮者ヘルベルト・フォン・カラヤンはここ祝祭大劇場で数々の演奏を指揮した。その功績を記念して祝祭大劇場の西側の広場を『ヘルベルト・フォン・カラヤン広場』と命名した。この広場に面した祝祭大劇場の2階にはカラヤンの部屋があり、ポルシェが停まっているときにはカラヤンがいることがわかった。またカラヤンの部屋が祝祭大劇場の舞台に向かって右側に位置したため、カラヤンだけは祝祭大劇場の右側から登場した。

 

祝祭大劇場の特徴として、オペラとコンサートホールの両方に最適な会場ということがいえる。一般にはオペラ専用、あるいはコンサート専用の会場が当然のことながらそれぞれに高い評価を受ける。しかしその両方に高い評価があることは設計年代やホールの規模から考えると驚異的でさえある。ちなみに祝祭大劇場をモデルに大阪フェスティバルホールは建設されたが、現在の出演者、観客の評価はかならずしも高くはない。このことから祝祭大劇場の国際的評価の高さは、ハードとしての劇場とともに、ソフトである、そこで催される音楽会の質、あるいは観客から、歴史までを含めた総合的なものといえる。

 

なお、音楽祭のチケット等には「ふさわしい服装で」との注意書きがあるが、現実には観光客が大半であることもあり現在ではそれほど厳しく考える必要はない。1階席でもスーツにネクタイ、女性であれば明るいスーツやワンピース、華やかなブラウスとスカート等で十分である。コンサートの場合はさらに制限は緩くなる。ただしスニーカー、ジーンズ、短パン、Tシャツ、カジュアルなサンダル等はどんな公演であっても避けること。ちなみに着物は正装なので本来は適切な装いであるが、実際には髪を結いあげたり、帯の分前方に乗り出す体勢になるため後ろの観客に迷惑をかけることになる。特に祝祭大劇場の座席は段差がそれほど大きくなく、中央付近では前後の席が重なるので極力避けるべきである。 とはいえ現在でもタキシード、ロングドレスの客も多く見られ、音楽祭の開演1時間ほど前になると、正面玄関の道路を挟んで反対側には、音楽祭の観客のドレスを見るための観光客の黒山の人だかりができる。

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