西部の娘
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ドレスコードに特にご注意ください:
劇場の品位にそぐわない服装と判断された場合、入場をお断りすることがあります。その際、チケットの払い戻しはできません。ショートパンツ、タンクトップ、ビーチサンダル、ビーチウェアでのご来場はご遠慮ください。客席内での飲食は禁止されており、ヘルメット、キャリーケース、ガラス製品の持ち込みもできません。
* Goldチケット *
Goldチケットにはドリンクカードが含まれていることをお知らせいたします。チケットを提示してチケット売り場の「前売りチケット」デスクで受け取ることができます。当日のチケット売り場の営業時間は、10:00から12:30までと、16:00から21:15までです。
受け取った後は、20:00から21:00まで開放されている劇場の庭園内の「予約された標識のある」エリアでお飲み物をお楽しみいただけます。
開演前にご利用いただけない場合は、最初の休憩時間中に、常に予約エリアでお飲み物をお楽しみいただけます。
あらすじ
第1幕:酒場「ポルカ」の中
山すそにあるミニーの酒場「ポルカ」は鉱夫たちの数少ない憩いの場だった。男たちは、流しのジェイク・ウォーレスが唄う故郷の歌に涙したり、盗賊ラメレスがまたこの近くにやって来たという噂話に花をさかせている。保安官ジャック・ランスが「ミニーはもうすぐ俺のもの」などと壮語したことから危うく喧嘩になるところだったが、ミニーが現れていつも通り聖書を読み聞かせてやるので、男たちは静まる。ランスは不器用に、自分の想いをミニーに打ち明けるが、無邪気な彼女は取り合わない。そこへ「ディック・ジョンソン」と名乗るよそ者(実はラメレス)が現れる。昔教会で見かけた男だと気付いたミニーはジョンソンに惹かれ、ランスは嫉妬を覚える。ギャングの一味、ホセ・カストロが捕われ引かれてくるが、彼は親分のラメレスが姿を変えてそこにいることに気付き、男たちの注意を酒場の外にそらす。こうしてミニーとジョンソン(=ラメレス)は二人きりとなる。ミニーはジョンソンに、今晩自分の小屋に来ないかと誘い、ジョンソンはギャング仲間の口笛の合図を無視して、ミニーのところへ行こうと約束する。別れ際にジョンソンはミニーに「君は天使の顔をしている」と言い残し、純真なミニーはひとりうろたえる。
第2幕:ミニーの小屋
はじめて男性を家に招くミニーがウォークルと一緒にうきうきと仕度しているところへジョンソンが現れ、一時を過ごす。やがてジョンソンは帰ろうとするが吹雪が激しくなったのを口実にミニーは彼を引きとめ、二人は愛情を確かめ合う。保安官ランスやアシュビーに率いられた一団がやってくる。ミニーはジョンソンを隠して応対するが、ランスは「ジョンソンと名乗っていた男はやはり、残忍な強盗ラメレスだった。奴の足跡を追ってここまで来た」と告げる。男たちを一旦帰したあと、ミニーはラメレスに向かい「あんたの素性も、私を騙していたことももはやわかった。出て行け」と激しく罵る。ラメレスは「父はギャングだったが、自分は父が死ぬまでそうと知らなかった。残された唯一の遺産、子分一味を用いて、母と弟たちを食べさせなくてはいけなかった。教会で初めて君を見たとき、真人間の生活を君と始めたい、屈辱的な過去は君には知られたくない、と神に祈った。しかし全ては無駄だった」と言い、小屋から去る。待伏せしていた一団にラメレスは撃たれ瀕死の重傷を負う。ミニーは激しい葛藤の末、再び彼を小屋の屋根裏にかくまう。ランスが追いかけて入ってくる。天井から滴る血でランスはラメレスの居場所を知る。ミニーはポーカーで決着を付けよう、と提案する。ランスが勝てば、ラメレスは捕縛、ミニーもランスのもの、一方ミニーが勝てば、ラメレスは見逃す。ミニーは結局いかさまをして勝つ。ランスはその手管に気付いたが、約束通り小屋をひとり立ち去り、ミニーは狂喜する。
第3幕:カリフォルニアの大森林、冬の夜明け前
数日後、大規模な山狩りの結果ラメレスは捕らえられ、ランスや鉱夫たちにリンチの末絞首にされようとしている。ラメレスは「ミニーには、自分は放免されてはるか遠い土地で悔悟の日々を送っていると伝えてほしい」と遺言する。そこへ馬に乗ったミニーが到着、ランスは早く絞首にしてしまおうとするが、ミニーは自分がこれまで鉱夫たちに尽くしてきてやったこと、聖書を教えてやったことを思い返させ、ラメレスを自分のものにさせてほしい、でなければ一緒に死ぬ、と哀願する。彼女の情に打たれた鉱夫たちはラメレスを赦免することに同意、二人は馬に乗ってカリフォルニアを後にする。
プログラムとキャスト
トッレ・デル・ラーゴ・プッチーニ音楽祭
トッレ・デル・ラーゴはトスカーナ州西部の人口約11,000人の町です。マサチウッコーリ湖とティレニア海の間に位置し、ジャコモ・プッチーニは生前この町に居を構えていました。トッレ・デル・ラーゴで行われる、プッチーニ音楽祭はイタリア国内では最も有名なイベントの一つであり、プッチーニの作品だけを上演する世界で唯一の音楽祭です。毎年行われるプッチーニ音楽祭には約40,000人もの聴衆が集まり、屋外舞台はかつて作曲家プッチーニが住み、作曲をしていた邸宅からそれほど離れていません。彼はこの邸宅の近くの礼拝堂に葬られました。
1930年に初めて開催され、予ねてからこのイタリア人作曲家が夢に見ていた「自らのオペラを作曲した湖畔での上演」が叶えられました。プッチーニの死後6年後彼の友人達がマサチウッコーリ湖上に「ラ・ボエーム」の壮大な舞台を設置し、この伝統は今日まで続いています。
プッチーニ生誕150年を迎えた2008年よりプッチーニ音楽祭は新しい屋外劇場で開催されるようになりました。